親鸞聖人わあるど

『親鸞聖人』アニメに学ぶ 聖人の歩まれた道

出家の動機

青蓮院
聖人出家の地 青蓮院(天台宗)の門前

 

 歴史上の人物で、親鸞聖人ほど人々を魅了する方はないでしょう。ここでは、アニメ映画『世界の光・親鸞聖人』の心に残るセリフから、聖人のみ教えを学びます。今回は聖人出家の場面です。

「次は私が死んでいかなければならないと思うと、不安なんです。何としても、ここ一つ、明らかになりたいのです」

(アニメ『世界の光・親鸞聖人』第1部より)

「死ねばどうなるか。ここ一つ明らかになりたい」
 これが、わずか九歳の聖人が、出家を志された動機です。

 八歳でご両親と死別なされた聖人は、
「次は、オレの番だ。死ねばどこへいくのか」
と、死の影に驚かれました。

「死んだら死んだ時、今さえ楽しければいいよ」と思う人があるかもしれません。しかし、未来が暗いままで、明るい現在を築くことができるでしょうか。

 たとえば三日後の大事な試験が、学生の今の心を暗くします。五日後に大手術を控えた患者に、
「今日だけでも、楽しくやろうじゃないか」と言っても無理でしょう。
 未来が暗いと、現在が暗くなる。墜落を知った飛行機の乗客を考えるとよく分かります。

 どんな食事もおいしくないし、コメディー映画もおもしろくなくなります。快適な旅どころではありません。不安におびえ、狼狽し、泣き叫ぶ者も出てくるでしょう。

 乗客の苦悩の元はこの場合、やがて起きる墜落なのですが、墜死だけが恐怖なのではありません。悲劇に近づくフライトそのものが、地獄なのです。
 未来が暗いと、現在が暗くなる。現在が暗いのは、未来が暗いからです。死後の不安と現在の不安は、切り離せないものであることが分かります。

 後生暗いままで、心からの安心満足が得られるはずがありません。このことに気づいた聖人は、この後生暗い心の解決一つのために、天台宗・青蓮院の門をたたかれたのです。

八百年の時を超え

 死はだれにとっても百パーセント確実な未来。しかも今日や明日にもそれはやってくるかもしれません。思えば私たちにとって、死を忘れて生きるほどの危険はないでしょう。

 聖人出家の決意は、時空を超えて、最も大切な忘れ物、生死の一大事を私たちに気づかせてくださっているのではないでしょうか。

 

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