親鸞聖人わあるど

『親鸞聖人』アニメに学ぶ 聖人の歩まれた道

後生の一大事は生涯かけての最大事

青蓮院
親鸞聖人が出家得度の式を受けられた青蓮院
門前の楠は、樹齢800年ともいわれている

 

「仏道を求めることは、
  大宇宙を持ち上げるよりも重いぞ」
  (アニメ『世界の光・親鸞聖人』第1部より)

 26歳の親鸞聖人は、青蓮院を訪ね、慈鎮和尚に求道の煩悶を訴えられました。

「仏門に入って十七年。親鸞この間、全身全霊修行に打ち込んでまいりました。だがいまだに後生に明かりがつきません」

 慈鎮和尚は一喝した。

「後生の一大事は生涯かけての最大事。だからこそ、我々の先達は、この一大事の解決に、生涯をささげてきたのではないか。仏道を求めることは、大宇宙を持ち上げるよりも重いぞ、と龍樹菩薩も言われている。十年や二十年で、解決のできることではないのだ」

 

 私たちも、静かに聞法の心構えを反省してみると、どうでしょうか。

 仏法を聞きながら、「これだけ聞いても分からん。どれだけ聞けばよいのだろう」と不平不満を言う人がいます。中には、
「こんなことなら聞かなければよかった」と恐ろしい謗法罪まで造って平気でいます。
 一体、これだけとはどれだけのことなのでしょうか。

 一ヵ月に一日や二日聞いても、一年にどれだけになるのでしょう。その一日といっても二、三時間、しかも朝早くから欲に追い回され、クタクタに使い古した心身と残った時間で、何を解決できるというのでしょうか。

 お花やお茶、書画など、何一つ学んでも一人前になるには並大抵ではありません。これらに幾ら熟達しても人生の根本解決にはならないのに、懸命に努力しています。

 ところが、永遠の幸福を教える仏法を求めるのに、これらほどの苦労もしないで、不足ばかり言っているのは、どれほど仏法を軽く見ているのでしょうか。


龍樹菩薩の大喝

 すべては、後生の一大事と仏法の重さが分からないからです。
「たわけ者、仏道を求めることは、大宇宙を持ち上げるよりも重いことが分からんのか」
 仏法を軽視し、小言を言っている求道者をしかり飛ばされ、仏法の尊厳を教えられたお言葉と拝さずにおれません。

 

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